今を生きる。私の中の自分に出会う

いろとりどりの気持ちたちを言葉にのせて。

どろだんごの中身。

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 思考(顕在意識)のずーーっと深い所(潜在意識)には、魂の私がこの世でドタバタ劇を繰り広げる私を我が子を見守るように眺めている。

 

あ~ぁ  そんなに怒るな~落ち込むな~悩むな~...って解決のヒント与えるから気づきなさいよ~

しょっちゅう助け舟出してくれてたみたい。

せっかくのヒントも固定観念のかたまりの大人の私は気づけなかった。

 

子どもの頃はピュアで、こうあるべきが無く顕在意識と潜在意識の間がクリアで直結している。素直に自分を表現できたし、素直に吸収できた。

 

例えば私は

遠足の前の日など嬉し過ぎることがあると、テンションMAXではしゃぎ過ぎたり、ワクワクし過ぎて眠れなかったり・・・

感情を感じたまま素直に行動に出るタイプの子どもだった。

 

 

それが、一番身近な大人の父や母、先生などから人生のルールを学ぶうちに、

女の子は静かにおしとやかにするもの。

感情を露骨に出すのははしたない。

と教えられ(と思い込み)それが世の中では正しいルールと(思い込み)植え付けられていた。

 

それでも私は、なんかいうたら有頂天になり、押さえ切れない楽しさが溢れてはしゃいでいると、母親の「調子のんなさんなよ」っていう口あんま開かず、目で殺される時、世の中で最も恐ろしい瞬間とまさに殺し文句だったので、更におしとやかにしたいと本気で思いはじめる。

でも

私は女の子らしくしたい→したいけどほど遠い→こままでは親に認められない→愛してもらえない→私は世の中的に間違っている存在→自己否定。

ちーん。

 

こういった固定観念が、ありとあらゆる場面で「正しい、間違い」という人それぞれの基準で学んだものを自分にに採用して認識している。

 

 

 

親からの「べき、ればならない」には私を愛していたいからこそ条件付の愛がそうさせた。

そのほかにも私が親になったからいろんな親の条件付の愛に気づけたし、私自身も子ども達に同じ事をしていたことに気づけた。

 

親も私と同じ人間で親としても経験浅く、試行錯誤しながら子育てしていたんだなと、私なりの和解をした。

 

自分にまとわりついてる固定観念をひとつづつ外していくと、ほんとに素直に本質の自分と繋がってくる。いろんなサインやきっかけに気づけるようになった。

ピュアな自分が見えてくるのだ。

 

例えば

レジで誰かと電話で会話しながら会計しにくる。めっちゃ常識ない人と思っていた。

私の固定観念{人と人と対話するときはきちんと向き合うのが常識}

その方の固定観念{電話の途中で話を遮るのは失礼}

と思ってるかもしれんなという風に

自分の固定観念やルールは真実でない思い込みも多いよ~ということ知ることができた。

 

そうなると、あくまでも今の私はだが(気づかせてもらえましたありがとう)と思えたりする。

 

わぉ。すごい。

 

 

本当の自分に出会う...

子どものころに丁寧に何日も何日もかけて作ったどろだんごとにていると思った。

私はどろだんごのなかに一番のお気に入りのビー玉を入れていた。

愛情をこめてすこしづつ泥の層を厚く強固にしていく。

 

落としても割れない、 戦わせてもビクともしない最強のどろだんごをめざして。

凄いっていってもらいたくてぴかぴかに磨いた。

でも、どんなに強固でもえげつなくあっさり割れる時が来る。

近所の兄さんのどろだんごに勝負を挑み負けた。

 

確かすんごい泣いた。

でもその中から出てきたミルキー弾‪𐤔𐤔‬を見つけたとき、中心に入れたときの感覚より懐かしい愛しさったらなく、くやし泣きしながら感動してた。

幼少期の思い出とともに蘇って来た。

 

 

囲いが取れると自分が見たい場所から、見ることができる。

 

すべての出来事は無駄じゃないよね

大丈夫、そういう私もいたなぁと確信したら、強固な観念を外してみよう。そのときあなたには何を見せてくれるでしょうか

お楽しみに!