そこにある自分と自然。
子ども時代...今なら考えられん世界。
『子ども会』で色んな地区別の始めて顔を合わす色んな学年の子どもたちと、長期休みの度にキャンプや飯盒炊飯などにしょっちゅう参加しては山にこもる経験をした。
冬でも夏でも。
大人はほぼ居なかった。
じゃ誰が引率すんの?
それぞれの子ども会を経た青年リーダー達がめんどうを見てくれて必要な時に手を貸すような子どもが主体の活動だった。
すごいね。
今なら有り得んね。
そこでは大勢で何日も一緒に行動するけど人間関係のトラブルやいじめなんか無かったように覚えてる。
虫や野生の生き物にもふれて川や滝、湖で身体使ってたら大きな世界すぎて個人と言うより気がつけば自然の中溶け込みに交わっていたと思う。
山に入った最初のうちはケンカや言い争いこそあったけど、その場の生きる環境の中では、そんなこともちっぽけに感じて来るのかも知れない。
『遊びに来たんやもん遊ばな~』目的がそれなもんで本気で遊んで、食べれるもの作って、片付けて、遊んで、星見て、歌って、寝て、遊んで、口に入れられるもの作って~と役割をそれぞれで果たしながら本気で遊ぶ集団になっていく。
今の自分には自然と人と戯れ成長してきた過去の意味が本当によく分かる。
あったりまえに人の〝生き方〟なんだろうなって最近思い出した。
キャンプに対してテーマもあらへん。ただ遊ぶ。自然と共に...それだけよw
スマホもない、ゲームもない。
蛍を掌でつつみ、誰が一番高く木に登るか、クワガタやカブト虫を戦わせ、サワガニを捕まえる競走したり...身体ひとつで遊んだ。
あっちなみに私は女ね。
なんか書いてるだけでも臨場感でむせるくらいの緑の林の中にいるみたいなリラックス効果ありだわコレ。
後に私も青年リーダー側の立場になって、ちびっ子たちとあちこち出掛けた。
キャンプにもリーダー陣の下っ端としてリードしに行ったのか遊びに行ったのか...一番心地いい微妙な年頃まで参加し続けたと記憶してる。
青年リーダー陣はほぼ学生さん達で、中高校生から大学生まで。
中学生の私には大学生がキラキラ輝いて眩しい憧れの存在だったなぁ...なんでも知ってて大きな愛情を〝半分大人〟から感じてた。
時には『あぁこのおにーちやん、あのお姉ちゃんのこと好きやな』とか子どもながらに観察したり応援したり。
自然と身体と歌や炎があったらそれだけで大いに楽しめた
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きっと今の子どもも学校ではスマホもゲームもないから、自分自身を使って上手く遊んでると思う。
溢れる好奇心はいつの時代の子どもも変わらず備わってる自然の恵だと思う。
身体を使うってどんな感じ?
試しにやってみるとよく分かるよ。一面だだっ広草原に子どもを連れて行くと、放たれた犬のように走り回るから。
ころがったり、とんだり、拾ったり、集めたり
我が家は兄小学校低学年、妹保育園時代はただの広い場所にボールだけ持って行ってよく遊んでた。
まぁ走る走るw
それが本能だからだと思う。
自然の中に佇めば、勝手に身体が反応するんやろね。
人は自然の一部。
アスファルトで固められた土の見えない都会の大地...自然のエネルギーを欲する人の在り方では、知らず知らずにストレスが蓄積されてはいないか。
どんなものでも良いから、人工物ではなくて自然のものにふれるといいと思う。
公園に出かけて木や土に触れてみたり、観葉植物を部屋に置いたり、鉱物を身につけたり、そんなことからでも自然を取り込める。
自分自身を時折自然に返してあげるときっと心までも力がみなぎるはずです。
明日は近くの湧水群に出向いて湧き水をくんでこようと思っています。
楽しみ~♪♪
いつもお読みくださりありがとうございます。
微笑みが増えますように♡