今を生きる。私の中の自分に出会う

いろとりどりの気持ちたちを言葉にのせて。

優越感と劣等感のはざま。

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私は〝素肌にTシャツ〟を着る。〝Tシャツに口紅〟的な粋なことではなく夏はブラ&Tシャツのみということ。

オシャレがどうのという話とも違う。

我が家の子どもたち(社会人)は、どんなに暑い日でもTシャツの下にシャツ的なものを必ず着る。

娘はその下にブラを付ける。

くそ暑くても。

『暑かったらシャツ脱いだらええやん』って言っても絶対脱がない。

来ていないと気持ち悪いらしい。

一切教えてないし両親も着てないのに、どこで教わったん?この兄妹と思ったら·····

どうやら保育園やな。

田舎のへき地にあって考え方が昭和初期っていう感じの保育園やったなぁそう言えば。

 

持ち物...

お着替え用 シャツ5枚 パンツ3枚は必須アイテムで洋服の着替えより多く持たせてたなぁ確か。

で、汗かいたら中のシャツをどんどん着替えるシステム。

 

そしてその頃から基本裸足。

仕事から帰って来たら何より先に靴下脱ぐ。

極寒の冬でも彼らはいつも裸足。

私はしっかり靴下を履き、そのうえスリッパはかかせない。

冷えるでぇー言うても裸足。

しっかり根付いているな。

すごいわ...一緒に暮らしてて、私が産んだ我が子ながら全く違う文化って。

そんな感じで、一緒に暮らしていても全く違う価値観や考え方が同じ屋根の下でお互いの間をそれぞれ飛び交う。

今では教えて教えられ、学んで学ばれる。

子どもの頃は親や身近な大人が指針だったけど様々な経験を乗り越え、気づき〝自分の世界は自分で作る〟という事を発見できたりする。

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優越感と劣等感の間。

子どもたちの大半の意味付けは私たち親なり、先生なりが注いだものとして、子どもたちの〝側〟にペタペタと張り付いている。知らず知らずに例外無く私も以下のような意識がかなりあったんだと思うわ。

 

成績やスポーツで『優秀』の仲間入りする事が親に手っ取り早く自分の価値を認めて貰える方法という事。

 

親は成績が上がるとなんか喜ぶし

親はスポーツで優秀な成績だとなんか喜んでる。

という事を親の言動を重ねて見聞きし採用する

 

 

結果

優劣で物を捉えてしまう。

自分より劣っていると感じると優越感を持ち傲慢になる。

自分より優れていると感じると劣等感を持ち萎縮してしまう。

さらにその結果

常に周りの他人は競争相手であり、敵ばかりってことになったりするんやね。

 

若干極論やけど、親心として少なくともそこには出来るだけ苦労なく幸せになってほしいと思う〝愛〟が故に、そして自分が歩んで来た道を振り返った経験によって安全安心に生きられるように方向付けしたくなるんやわ。

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そうか...

親は初めて親になる。

3歳の時の親は初めて3歳の子どもの親になる。

18歳の時の親は初めて18歳の子どもの親になる。

兄妹がいてもその環境の親は毎回初めてで、でも私は子ども時代は1回やってるやん。

通った道のりやん。

だから何となく分かる。

分かるけど忘れてることたくさんある。

 

親も時おり未熟やし未経験から、親自身が子を思いながらも、自分の立場がより良くなる事も一緒に考えてたんやわ。

人間やもの、世間からよく見られたい思いもあったやろうし。おたくの子すごいねって言われたいし、そうなったら自分も子どもも幸せやんと思うもんね。めっちゃこの思考は私の大半を占めてた...コントロールしてるつもりはなかったけどごめんな子どもたちよ。

そして私の両親に対しても感謝もあれば色んな不平不満あったことも全部あらためて、まるっと全て許しました。

初めて親すんねんもん、見よう見まねで失敗なんてよくあったやろうって思う。

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とはいえ、私の親はというと自由に羽ばたかせてくれてた方で私の中の強固にあった〝べき〟や〝ればならない〟は世間の風潮から得た方が多いかもしれない。

だから意外となんの支障も無くスっと剥がれたとのかもと思ってる。

 

100人いれば100通りのパターンの価値観や考え方が張り付いてる。瞬間接着剤のようにちょっとやそっとでは剥がれん強固なものもあるし、無理に剥がしたら皮むけてヒリヒリする人も居れば、ポストイットでペロって付いてるだけで風が吹いて勝手に剥がれる人もいる。

 

掘り下げれば深い話になってしまうなぁ...なかなか言葉にしずらいけど意味が伝わってんのかなぁ...‪w

そんな感じでペタペタ張り付いている〝側〟を許したり、自分の都合のいい解釈に書き換えたり、ひとつひとつ剥がして取り除いていくと見えてくるよ。

劣等感や優越感の正体が。

その間で揺れ動いて居る〝私〟はもう居ません。

 

はがしてはがして〝私の中の本当の自分に出会ってみる〟と必ず世界が変わって見えるから...

 

 

 

いつもお読みくださりありがとうᵗʱᵃᵑᵏᵧₒᵤও‪⸜(*ˊᵕˋ*)⸝‬ございます。

明日も笑顔がひとつでも増えますように!