五感の先に、他の感覚がよみがえるということ。
日常で色んな変化に遭遇してはいちいち、驚きしばらく慣れずにいたけど、最近は(あぁハイハイ良く解ります)と状況について行けています。
人生という川の流れにただ沿って生きていると、物の見方や感じ方がいつの間にか変わって行っているのを実感します。
それに伴ってなのか、私は多分人間という動物の本能を取り戻したんやなきっと。キラーン
そして、誰しも持ってるし元々備わってるものがまだ他にあるんだと思います。
嗅覚、視覚、聴覚、触覚、味覚、〇覚。
(こっからナナメ45°に突入します)
文章だけでどれくらい伝わるか試しに書いてみようと思います。
この手の類い興味無い方はここまでで、またの機会にお会いできれば幸いです。
嗅覚
なんかジャスミンの 匂いせん?って周りに聞いてもしないと言われる事からアレ?と思っていたけど、どうやら身近なものの匂いから遠い異国の地の匂いまで...もしくは嗅いだ事ないような匂いまで感じる事があります。
人によっても、場所に行ってもそうで、匂いから先に感じる場合もあるけど、ただただ嗅覚が鋭くなったのか何なのか、それらが何を意味するのかしないのかは、さっぱりわかりません。
だからどうしたと言われれば『ただ匂いも一緒に感じる』というだけですw
視覚
先日、娘の試合に間に合うように段取りしていざ出かけようとしたら、車の鍵が見当たらない。おにぎり買ってそれから向かおうと余裕を持って家を出ようとしてんのに鍵がない。娘と2人でワイワイ言いながら探しても見当たらず、娘の送迎に間に合わないので仕方なしに息子の車を借りてぶっ飛ばしました。
送り届けたその帰り、初めて運転した息子の車に戸惑いながら (困ったなぁどこに鍵を置いたかな)
と色々可能性を考えてると
『食器を乾かす囲いのすき間』
に鍵があるのが映像で見えました。
浮かぶというか見えるという表現の方がしっくりします。
そんな所にはまずありえないのだけど、見えました。
家に着き、一目散にその場所に行くと...
そこにちゃんと有りました。
感想はと言うと(ひぇ~マジか~)という感じです。
それが物質を持って初めて自分の現象を知るきっかけになりました。
今までにも、映像で見える物もありましたが
例えば、ちょとした心配事に思いを馳せてるとホッとして良かったと思っている自分の姿が一瞬見えたり(後に本当にホッとする)とか
最初の方はイメージで見える事が多くて、自分なりに解釈してみるという事が有りましたが、最近では直接的なストレートな感じで見える事が多々あります。
それはそれで便利ですw
聴覚
これね...
最初の頃はおかしくなっちまったのかと思った程バンバン聞こえるので、マジで戸惑いました。聞いた事ない単語から、10人くらいで一気に色んな事を伝えてくるような、わーっと届くようなことも有りました。
初めての頃は聞こうとしてないのに突然聞こえたり、見えるのと同様イメージ系で伝えて来ることが多かったです。
最近はすっかりドワーッって来ても対応出来てるのかも知れませんが、音として聞こえるというのか響くというのか、はっきり伝わってきます。
またもや...
今度は家の鍵が見当たらなくなったので、みんなに確認するけど知らぬと。
いつも玄関先のとある場所に閉めたら置いて皆で使っているので、みんなの色んな可能性を考えながらあちこち娘と探してたけど見当たらず...
そうだ!前回の車の鍵と同様見えるんちゃうかと思い、集中してみました。
てっきり映像で見えんのやろと思ってたら、聞こえたんです『ポッケ』と。
すぐさま娘に『ポッケ』やって!と
コート、ジャケット、ジーンス、カバンのポケット、車のサイドポケット...
ポッケと名のつく所探すけど
有りません。
気のせいだったかなと、もういっかい (家の鍵はどこいったんやろう)と集中...
『ポッケ』音
『黒いか、暗い』映像
うわダブルできた。
『やっぱりポッケやって...』とほかの感覚も話して引き続き探しますが、そう言えば私はポケットの事をポッケとはあまり言いません、たぶんふだんはポケットって言ってます。
まさか!違う意味とかあるのかなと思い
『ちょとポッケって調べてみて、他の意味かもしれへんから』と探してる間に調べて貰うと
『ポッケとはポケットの幼児語』それしかないと。
息子かな...
と言うのも、初めての子の長男には未だに(成人)幼児語がポロっと出るくらい幼い時は幼児語で接して来ました。
その名残りが例えば、『てって洗いよ~』(手)とか、ちょいちょい出るので気を付けようと思うのですが、息子も何も言わないので家の中では時折でてしまいます。
風邪気味と感じると『グチュグチュっぺしとき』(うがい)とか...w
すぐさま、留守にしている彼の部屋に失礼して、彼の服で黒を探し〝ポッケ〟をまさぐるとすごい...ありました!
黒いジャケットのポケットに。
もう...あんなに知らん、無い、って言ったのにさ。
これまた便利であります。
触覚と味覚。
これらは特に大きく今までと違うとは思いません。
確かに自然の物の美味しさが際立って味わえるというのはあります。
このふたつはこのままなのかこれから変わるのかなぁって特に気にも止めておりません...
〇覚(未知の感覚?)
直感というかインスピレーションというか、ふっと過ぎる系の感覚。
私が最も動物的感覚だと思うところです。
例えば、いつもこの場所に来れば空気感が変わるとか、今日はやめとことか、これを選ぼうとか。
最初のうちは、それらは驚く事に、自分が選ぼうとする前に勝手に身体や行動に出たりする。
もうそりゃ驚きました。
例えば、いいよって言おうとしてるのに手が勝手にごめんの形になってたりw
後に考えるとイヤと思ってるのに引き受けようしていたり。
どうしょうかなって迷っているはずなのに、その場所に足が向きどんどん進んで既に居たり。
そんなことが多々ありました。
それって困るんじゃないかと思われるかもしれないけど、それに引きずられ困惑する事はあまり無くて、きっとダイレクトな感覚なんだと思います。直結してるんです身体や意思は多分本当の自分と。
今私は、思考は後からでも色んな事考えられるけど、先にインスピレーションのまんま、ありのままで全て対応してると言うか、フィルターなどが取り払われ、常に本当の自分で居るということだと思ってます。
知らず知らず行っているのは、直感にいちいち反応しているということです。
見てみたいと思ったら極力行動してみたり、なぜだろうと、ふっと思ったら調べるとか...
どんどんこの手の感覚は自分の一部になって来ます。
強弱はあっても(あぁこの問題はちゃんと解決する)と言う感覚も共に感じたり、その感覚が薄い時は違う策が出て来て(そっちか!)という時も有ります。
本能
もしかしてこれらは動物が持っているような感覚と同じで、人間の誰しもが持ってる機能のうちのひとつ『本能』なのかもしれないと思っています。
そうなりたいと訓練した訳では無いけど、研ぎ澄まされて全ての五感が敏感に鋭くなっているように感じていたので、その延長上にあるようなものかも知れません。
そういった感覚にも変化が有るので、また感じ方が変わったりすればここで書きとめる事にします。
白鳥が冬の到来とともにシベリアから連隊を組んで毎年必ずやってきます。
そして冬を越します。近くで見ると野生の白鳥すごく美しく迫力があります。
春に近づくと、白鳥の団体さんが約2週間飛び続けシベリアへ飛び立ちます。
V字の連隊を組んで先に飛ぶリーダーが時々入れ替わりながら、鳴き声で方向や距離感を測り飛んで行き、GPSも無ければ地図も無い、本能で目的地を目指し飛び続けます。
クヮクヮと鳴き声が聞こえると空を見上げればV字で飛んで行く白鳥さん達に、『また来年も戻って来てね!無事にシベリアまで飛べますように』って祈っています。
今日もナナメ45°にお付き合いくださりありがとうございます⸜(*ˊᵕˋ*)⸝