自分への 〝ありがとう〟と〝ごめんなさい〟
時に自分のことを大切にできないこともありますよね。
いつまでも頑張りが利くと思い体調管理にせよ、身の回りのことにせよ自分のことを後回しにしてでも、家族のためや誰かを思い頑張ってきた。
と、勝手に思っていたしそれが正しいと思ってた。
でもどうやら、必死すぎて時間ないとかお金が無いとかを理由に自分と向き合う余裕を持てなかったことだと思いました。
ある言葉と出会いその後目が覚めます。
「生きているだけで、素晴らしい」
そのときにわたしの頭の中は自分へのごめんなさいがあふれてきました。
いつも体調が悪くてごめんね
イライラしたりくよくよしたりでほんとごめん
元気に生んでもらったこの身体これからは大切にするね
身体も心も大切に出来なくてごめんなさい。
それと同時に、
そんな状態でも病気にならないでいてくれてありがとう
家族のために必死になってくれてありがとう
いろんな考え方で私を危機から守ってくれてありがとう
みたいにありがとうもたくさん溢れてきました。
そうしているうちに活力が湧いてきたのも感じました。
それからは
自分を少し離れたところから、ありがとう
ごめんなさいを見つけては、私自身と向き合います。
私は眠る前に「今日はどんなありがとうがあるかな」と思い出します。
それはそれは、もうつまんないことでもいいんです。
私なんか「そんなんでもいいの」と思えるものも自分へのありがとうにします。
ごめんなさいも同じく。
道を譲ったとか、手伝ったとか
「きっといい気持ちに出来たよね、すごいねありがとう」
指ちょっと切っちゃった
「不注意で痛かったねごめんなさい」とか。
ありがとうがたくさんある日も、ほとんど無い日もあります。
ごめんなさいがたくさんある日も、ほとんど無い日もあります。
それでいいと思います。
気づいたときで充分です。
自分へのありがとうとごめんなさいをしてみると自分の存在を心から認めていることに気づき愛おしく思えてきます。
自分から生まれる喜びや幸せを受け入れるのは自分自身ただひとりということ。
ありがとうとごめんなさいは自分自身を中心に戻してくれるし、ポジティブやネガティブの両端から引き離して戻ってくれます。
さてと
今日もベットに入ったら
さっき深爪しちゃってごめんなさい
疲れてるのに片付け頑張った!ありがとう
って自分に言ってみます。
本日もお読みくださりありがとうございます
おやすみなさい✧‧˚