思い出のカケラ。
不良グループに入ってるのに、家帰ったら「ただいまっ!」て言うタイプの真面目なヤンキーだった人~ 手~挙げて
けっこういるんでない?
あたしがそうでした。ww
真面目でいる事の方が難しい時代(あっ大阪ね)だったので、なんかしら人と違う部分でアピるし競い合ってたような記憶がある。
ちょい前に終わっちゃったけど「今日から俺は!」のドラマを娘が見てて
横から、「セーラーの着方あんなんちゃう」とか、「カバンに芯入ってる」とか、ストーリーと関係ない所に食いつくもんだから、うっとしがられたり。
懐かしい思い出も混じって見てると楽しかったです。
と同時に本当にあの時代自分って存在してたんだろうかって不思議な気持ちになったりして
遠い思い出すぎてね。
なんか、古い本をペラペラめくった時の匂いとよく似た懐かしさの感覚。
その時代の部分部分の思い出は頑張ったら出て来るという程度で意外とどーでもいい事を覚えてたり思い出したりしませんか?
手繰り寄せれば...
ほんとどーでもいい思い出にも繋がってくる。
コンビニでパンとか飲みものやらを買って
「袋いいです」って言ったもののけっこうな量であぁ入れて貰えばよかったなぁと思ってる時
思い出の破片が見つかった。
近所のパン屋のカエルに似たおばちゃんが無愛想で好きじゃなかったこと。しばらくなんでか、おばちゃんおらんで代わりにおっちゃんが店いた。
接客も雑で袋にも入れてくれへんで会計も遅くて、バラの菓子パン5個ぐらい手で持って帰らなあかんと。
はたから見たら盗んで来たんかそれ、状態。
流石におばちゃんはよ帰って来てくれへんかなぁって思ったなぁ
おばちゃん戻って来た時は嫌いやのにめっちゃ嬉しかったかった複雑な感情。
とか思い出した。
どーでもいい事がその場所にさっきまで触れてたような感覚や感情が鮮明にふっとよみがえる。
思い出は、色んな場所場所に散りばめられているカケラのようなものなのかなぁとも思う。
全体ではなく破片のようなものだけが自分の周りにあって、ちらっと気になって破片を見るとそこから全体が見えて来る。
何かの反動で思い出の破片が飛んで来て身体に刺さって痛んだり、ゴミと間違えて捨ててしまったり、ちがう破片と破片間違えてくっつけてたり、キラキラ輝いていて綺麗なのは宝箱に入れていたり。
良い思い出に浸り、培って来た経験を活かして現在に用いて、そして未来に繋げるって素晴らしいことだし、どっぷり浸かりたい時も有りますよね
思い出してしんどかったら破片のままほっとけばいいし、自由にどんな風にも出来るんだと思えば余裕が生まれる。
思い出は自分を動かす燃料にもなるという所でしょうか。
実は嫌な思い出がハイオクになったり
大切にしてた思い出は意外と単三電池かもれない。
そして、いまこの瞬間も1秒後は立派な過去。
『現在』と言うけど、それって有るんだろかとも思う。
言葉を発すると瞬間に過去になるよね。
そこら辺も伝えたい...
初めの方の記事にも書いた
過去も現在も未来も不安も恐怖も幸せも喜びもみんなみんなひっくるめて私自身の存在が『今』という事。
よく意味が分からないかもだけど...
いい例思いついた。
ベルトコンベヤーが時間として、その上を流れと反対に歩いているのが現実の私。
ベルトコンベヤーは規則正しく後ろへ流れて行くよね
本当の自分とはベルトコンベヤーもその上を歩く現実の私も
その工場もぜーんぶひっくるめたひとつの空間と言った所でしょうか。
ブログのタイトルの今を生きるという
『今』と言うのも、本当の自分の感覚が『今』ということです。
私の本質そのものが『今』というと言うことなんです。
ごめん、もっと分かりにくかったかも。(;´∀`)・
さっぱり分かりましぇん
というお声も聞こえて来そうですが
ニュアンスだけでも伝われ~
思い出ってさ、なんかあれみたい!
プラモデルの枠。
必要な部品を枠から外して組み合わせて、どんどん〝私〟が出来上がって行き、
その残った枠組みや破片が思い出じゃなかろうか。
とってしまった部品は元に戻せないけど
確かにそこにあった証が残ってる。
これまで歩んで来た道のりのあらゆる出来事は
辛い事も幸せな事も全て〝私〟を作る材料であって完成する為に必要な部品のひとつひとつなのかも知れませんね
今日もガッツリ斜め45°でした。
お付き合いいただいたお優しい方々...
ありがとうございます
感謝´ω`*