ココロとカラダ 。
私は心も身体もゴリッゴリの体育会系でした。ケガしても具合悪なっても、気合いと根性で治す古いタイプのアスリートで、学生時代は私らは優勝の2文字しか受け付けん!と情熱を燃やしていました。
朝から晩まで練習漬けの毎日で、プレーでのあざからぶん殴られてのあざで、あちこち青あざだらけの身体でした。
そんな中
命をかけたインターハイの1週間前にゴッキーっと捻挫をしてしまったんです。
みるみるパンパカパンに腫れてしまい、気合いの足りなさが原因と自分を責めまくりました。
おし!3日で治すとチームメイトに宣言して、とにかくほぼ一日中氷バケツに足をつっこみ
〝この足はキレイに治ってバリバリ走れる〟
〝この足はキレイに治ってガンガン飛べる〟
と自分の足に延々言い聞かせながら、本当に3日後には奇跡の生還をしたのです。
決定すればそれに標準を合わせ舵は切られる。
そのような考え方は知らずともまだ子どもの私の中に色濃く残っていました。
大人になるにつれて、そんなおとぎ話通用しねぇなんて排除しがちですよね。
思い返すと本当にそのままの〝変化〟があるということに気づいたのです。
その後私は順調にさらに上の世界に進む事ができ、親元を離れて夢にまで見たユニフォームが着れると希望に満ち満ちていました。
選りすぐりの面子が揃い、それこそ皆がチームメイトの前に強豪なライバル達で、、私はレベルの高さに練習について行くのにも必死で苦しんでいました。
先輩もコートに入ればライバルだったので、己も含め戦う相手、敵だらけだったのです。
身心共に疲れ果て、あんなに大好きだったのに今私は何やってんだろと自問自答する毎日。
ある日、早朝のランニングの後ふつうに歩いている時に突然気を失いました。
チームメイトと笑って話している時急にです。
町医者は血液検査などの結果に不安が有るので大きい病院で見てもらってくださいと送られ、どデカい迷子になりそうな日本○○病院に行き、そこで色んな検査をした後、即死レベルの数字が出ていると大騒ぎになりソッコーで担架に乗せられ即入院。
ありとあらゆる、臓っちゅう臓、穴っちゅう穴全部検査をしたけど有り得ん数字がポツポツ出るので、退院することも出来ずおよそふた月検査検査の毎日...
私このまま突然死ぬのかなとも思っていました。
結果、原因不明...。
なにゆえ?
以前のブログに書いたホメオスタシスやコンフォートゾーンについて
そう原因は全て私の意識から放たれたもので
「もう全て嫌!逃れたいし辞めたい、病気でも怪我でもなんでもして大阪帰りたい」って毎日思い潜在意識に働きかけられ、「ははーんっとりあえず病気になりさえすればええのね」って潜在意識の自分自身が心地よくなる事と判断したんです。
私もこの目で見たけど有り得ん数字が並んで出たんだと思うのです。
(その後、たっぷり考える時間をもらえたと、自信が無かったからだと、弱っちいココロをもう一度振るい立たせ、また体力強化からのやり直しをしたのでした)
潜在意識は良いも悪いも判断せず、病気や病人であることに何らかのメリットを感じて安心している状態のほうを選び、心地よく居られる場所に戻そうとする。
という所まではなんとなく伝わったでしょうか。
「この時期私って必ず風邪引くのよね」という思い込み=風邪引く
そんなことから思考のパターンや感情と病気には関連性があると気づき、過去の考え方や行動パターンが新しい変化の邪魔をしているのかもしれないと考えるようになりました。
ココロとカラダ
心が安定しているとカラダも安定してゆきます。
私自身の不思議体験から、あらゆる状況は自分が作り出していて、そこから沸いた感情はどう受け入れいるのか、どの感情と(喜怒哀楽)結びつけるのかで変われるということを教えて貰いました。
喜ぶことも、嘆き悲しむことも、自由に選べるんだと思えば、気持ちも軽くなりますよね。
望まないことには意識を向けない。
それでも望まないことがムクムク浮かんだなら、その相対している〝望む〟ことがわかるということを発見したって思ってくださいね。
こちらは、雪まじりのお天気です
寒くなってきたけど、ココロはあったかくしてあげてくださいね。